「日本橋のやたら古いビル」が東京大空襲で残した“功績”って? なぜ人を守れたのか
日本橋方面に向かう馬喰町一丁目の交差点にたたずむ「イーグル・ビル」実はこのビル、戦前から立っており、東京大空襲で多くの人の命を救った建物でもあります。
中央区と台東区の境目にある年代モノのビルの歴史とは
JRの馬喰(ばくろ)町駅を出てすぐの、馬喰町一丁目の交差点。ここに、1階部分が濃紺のタイル調のデザインの古いビルが、周りのオフィスビルやホテルなどに混ざって建っています。
2025年3月10日 14時12分 乗りものニュース
見たことある?
もしかすると通りかかって記憶に残っているという方もいらっしゃるかもしれませんが、私も何度か目にしていて興味をそそられた記憶があります。
そんな記憶に残っていた建物が、実は歴史的にも活躍したRC造のビルだったとは、もっと早く調べておけばよかったと思いました。
イーグル・ビル
記事によれば、実はここは「イーグル・ビル」という名前の1930年代に建てられた鉄筋コンクリート製のビルで、今から80年前の1945年3月10日に起きた東京大空襲で、多くの人の命を救った建物でもありますということ。
このビルは元々、イーグルというノート類の卸問屋で、当時はビル3階までが店舗だったそうです。中央区のホームページには、当時このビルに住んでいた、中田多嘉子さんの体験記が公開されています。
下記のリンクから是非ご覧ください。
「鉄筋のビルで焼けずにすんだ」 中田 多嘉子(なかた たかこ)
空襲の怖さ
手記の中にもありましたが、2月の空襲よりも遥かに被害が大きかったのが、1945年3月9日から10日にかけての深夜に実施された夜間爆撃、いわゆる「東京大空襲」です。この空襲は300機以上のB-29が参加し、対日戦としては初めて本格的に実施された、市街地に対しての夜間・低高度飛行による焼夷弾爆撃でした。
当時のイーグル・ビルには20坪ほどの地下室があり、ここが防空壕としても使えるように改造されていたとのことで、周辺から避難民を含め数十人がこの地下室にいたといいます。奇跡的にイーグル・ビルは燃え残り、中田さんの家族のほか、多くの人の命を救ったそうです。
RC造の意義
このようなお話しをお伺いしますと、本当にRC造であること、ただそれだけで住民の方やご近所の方、さらに地域を守ることが出来るということがわかります。
実は、このビルは関東大震災後、東京市からの助成金で建てた本格的な耐震耐火建築になっていたとのことで、そのことも焼け残った理由ではないかと中田さんは回想しています。また、1階部分は爆風対策のためにシャッターを下ろし、それを外から太い松材で囲っていたとのことです。
私たちの使命
また記事では、現在のイーグル・ビルは昭和40年代に外壁を改修し、1階部分濃紺のタイル張りになっているものの、それ以外の壁や縦長な窓枠も当時の面影を残しています。なお1階部分においては2025年3月現在、カフェになっており、落ち着いた雰囲気が魅力のようです。と書かれていました。
もちろん大空襲を想定して建物を建てる必要は無いかもしれません。しかし、いつもお伝えしているように、災害大国日本では次にいつ発生するかもわからない状況ですし、いまだに木造住宅密集地域も点在しています。
あなたとあなたの家族を守り、地域を守る住まいを1軒でも街に残すことが、現代に生きる私達の使命ではないかと思っています。是非RC住宅をご検討ください。