なぜ私たちは下駄を履かないのに「靴箱」ではなく「下駄箱」と言い続けるのか
下駄を履く人はほとんどいないのに、なぜか私たちは今も「下駄箱」と呼ぶ。
国際日本文化研究センター所長の井上章一氏は、かつては役所や百貨店などの公共スペースも土足禁止だった歴史から、その理由を読み解いている。以下、新刊『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』(新潮選書)から一部を再編集して紹介する。
2026年7月31日 6時32分 デイリー新潮
下駄箱知ってる?
これは興味深い記事です。
下駄箱というキーワード、全国民のうちどのくらいの世代まで通じるものなのでしょうか。
最近の小学校などでも未だに下駄箱で上履きに履き替える、という作業を強要されているかもしれませんので、それであれば比較的若い方でも下駄箱を理解してもらえるかもしれませんね。
設計者の仕業
私が思ったのは、もしかすると、この風習を承継させているのは、建築設計に携わる私達なのかもしれません。
というのも、未だに設計図面に下駄箱と記載されている場合があり、建材メーカーもカタログ表記で使っているケースがあったりします。
最近は玄関収納やSIC(シューズ・イン・クローゼット)を設ける場合も多くなりましたし、賃貸住宅では下足箱を置く場合もありますが、さすがに弊社では下駄箱の表記はしていません。
下駄は知ってる?
記事によれば、下駄箱という言葉がある。今でも生きている。現代人が、しかしあそこへ文字どおりの下駄をおさめることは、あまりない。もう、下駄履きの習慣はすたれている。収納するのは靴やサンダルというケースのほうが、ふつうである。
にもかかわらず、靴箱という言い方は、下駄箱ほどひろがっていない。用語としては、下駄箱のほうが一般的である。下足の収納家具は、下駄の時代からできている。そして、靴の普及した時代には、履き物をあずからない施設がふえた。言葉をかえれば、靴をはいたまま入室できるところが多くなっている。
大病院、ホテル、百貨店などは、たいていそうである。かつては、それらも入口で下駄などをあずかった。だが、今は土足をうけいれている。外履きの管理箱は、その意味で靴より下駄のほうに、歴史的な親和性をもつ。下駄箱という語彙が温存されたのは、そのためか。とありました。
さすがに下駄を履いたことのある人は、もうそう多くはないと思います。昭和の時代ではまだカランコロンという音を聞いていましたし、場合によっては浴衣の時に履いたという方もいらっしゃるかもしれません。
懐かしの土足厳禁
さらに記事では、かつての日本社会は、土足で屋内にはいることを、公共的な場でもゆるさなかった。百貨店や病院にかぎったことではない。今のオフィスにあたるような場所でも、土足は厳禁とされていた。
商人たちが算盤をはじき、帳簿をつける。そういう作業も、かつては畳や板敷床の上でおこなわれた。下足はしかるべきところ、べつの場所においている。侍たちの仕事場も、江戸時代の話だが、その点は同じである。彼らも職場、つまり役所や城では履き物を足からはずしていた。
ほぼ100パーセントの人びとが、外履きでの歩行をゆるさない。そんな場所は、個人のすまいだけになってきた。パブリックな領域からはしめだされ、プライベートなエリアへ局所化されている。とのこと。
そう言われてみると、以前は病院や飲食店、取引先の事務所などでも、靴を脱いでスリッパに履き替えるというルールがあったりしましたし、何なら車も土足厳禁にされていて、道路に揃えて忘れられているケースもありました。
いつかは土足可になるかも
続いて記事では、なるほど、屋内での土足厳禁という習慣は、民族的な感受性とともにある。だが、かつてのそれは、屋根でおおわれた床の、ほぼ全域にゆきわたっていた。今は、あるかぎられた場所でしか作動しない。この文化を全面的にたもっているのは、住宅だけなのである。土足嫌悪の心情は民族性にねざすが、その力はおとろえてきたと言うしかない。
小中学校、高等学校でも、上下足の分離をしいられた。そういう記憶をもつ人は、おおぜいいると思う。しかし、土足で教室へはいれる学校も、じつはけっこうある。少数だが、存在する。やはり、土足ぎらいの心性を、いちばん根強くとどめているのは住宅だと考える。とありました。
もしかすると、あと数十年も経てば、日本においても個室のベッドまで靴を履いたまま行ってしまうということ生活スタイルに、変わっているのかもしれませんね。
和服から洋服へ
最後に記事では衣服についても書かれていました。だが、江戸時代までの日本人は、つねに和服をはおっていた。それこそ、身分や地域のちがいをこえ、伝統的な衣服に身をつつんできたのである。いわゆる南蛮時代をべつとすれば、そもそも洋服の普及じたいがありえなかった。
様子がかわりだしたのは、幕末の開国をむかえてからだろう。西洋諸国の軍事的な優位を知った幕府や少なくない藩は、軍隊の西洋化にのりだした。武器や戦闘技術のみならず、軍服も西洋にあわせだしている。
20世紀には、勤務着の洋装化が、サラリーマン一般へおよんでいく。1920年代には、半数以上の男たちが、洋服姿で外をあるきだした。20世紀のなかばをすぎたころには、大半の仕事着が洋装になっている。
ただ、洋服で出勤した男たちも、ひところは家へかえれば着物姿になった。きゅうくつに思えた洋服をぬぎ、肩がこらないと感じられる和服へきがえている。20世紀のなかばまでは、それが標準的な勤労者の生活スタイルだった。しかし、20世紀後半の高度成長期には、室内着からも和服は追放されていく。家でくつろぐさいのウェアも、しだいに西洋化していった。と書かれていました。
世界基準と日本の文化
そう言われてみれば、和服という民族衣装はあっけなく駆逐されてしまったように感じますが、それは近代化という時代の流れの中では、避けられないことだったのかもしれません。
記事の著者さんが書かれていたのは、部屋着としての和服はほぼ消滅した。だが、「家では靴を脱ぐ」習慣は住宅でいまも10割の水準を保っている。どうやら和服より、よほど深く民族性に根ざした文化であるようだ。日本人が靴で自分の寝室まで行く日はまだまだ来そうにない。と書かれていました。
記事に目を通して、建築的知的好奇心を刺激されたように感じましたので、紹介されていた書籍を読んでみたくなりました。
日本人の意識では、中と外の区別にこだわる傾向があるように思いますし、几帳面で衛生的な環境を好む国民性が続いている限りは、プライベートな室内で土足ということにはならないのではないでしょうか。
こだわりの玄関も是非お気軽にご相談ください。






