なぜ増える? 小人の妖精が毎年増える、ポーランドの謎の街「ヴロツワフ」へ行ってみた
妖精に会える街–。なんて書くと、どこかスピリチュアルな響きですが、実際にそんな街があります。
先ごろ、プレスツアーで訪れたポーランド西部の街、ヴロツワフ。街を歩いていると、店の前や観光スポットの影など、至る所で小人の妖精のブロンズ像を見かけます。一体なぜなのか、街の人たちにとってはどんな存在なのかを探ってきました。
2024年8月7日 21時35分 All About
行ってみたい街シリーズ
本日は私のいつか行ってみたい街シリーズです。そんなシリーズがあったのか?はわかりませんが、老後には欧州を回ってみたいと思っています。
ポーランド、いやはや日本では本当に情報が少なく、日常生活でもほとんど触れることのない国名ではないかと思います。もしかしたら、今ならオリンピックの場面で目にすることがあるかもしれませんね。
小人の妖精
さて、まず記事で紹介されていたのは、とにかくあちこちで見かける小人の妖精のブロンズ像。気になるのはその数です。地元のガイドの人に聞いてみると、「聞かないで(笑)」との回答。
というのも、毎日のように増えているから。始めのうちは、ヴロツワフの市街地だけでしたが、今や郊外の工場などにも設置されているそう。観光公式サイトには、2020年半ばには360体だったという記述がありますが、今や1000体を超えているだろうとのことです。
このブロンズ像がまたカワイイものも多く、その表情や表現のアイデアも面白そうですので、お時間のある時にググってみてください。
歴史を学ぶ
また、記事によれば、設置のきっかけは歴史的なことから。ヴロツワフでは第2次世界大戦後に「オレンジ・オルタナティブ」と呼ばれる反共産主義運動が起こりました。
その際、武力行使をせずに、政府を揶揄(やゆ)する手段として、壁に小人の妖精の落書きを描いたのが始まり。1980年代には学生は小人の帽子をかぶって活動をしていたそうです。その後、第1号のブロンズ像「パパ・ドワーフ」が設置されると、どんどんブロンズ像が増えていき、今では観光的な見どころの1つになりました。ということ。
そんな歴史的背景がありながらも、現在は意味合いも変わり、今ではいわば、良質な広告ツールに。会社や銀行、レストランなど、さまざまな企業がオーナーになっています。小人マップを片手に観光客がやってきて、場合によってはタワーに入るためのチケットを買ってくれたり、レストランで食事をしてくれたりするわけです。
こんな記事を読むだけでも、欧州の歴史を学べますし、そこから現在の平和な環境を手に入れた国からも、学ぶことが多そうです。
さらに、ヴロツワフでは、戦争で7~8割が破壊されており、再建された旧市街も見もの。カラフルな街並みは実にフォトジェニックで、小人の妖精の世界観にもマッチしています。街には12の島があり100本以上の橋がかかっており、「北のヴェネツィア」と称されることもあります。
この街並みが本当に綺麗で、いかにも欧州な雰囲気ですが、いろんな民族の文化が融合して作られた街やデザインも是非見てみたいところです。
百年記念会館
そして何より、私の目が光る瞬間がこれです。世界遺産の「百年記念会館」もあります。1913年竣工当時は、世界最大のドーム型コンクリート建築だったもので、コンクリートの高い天井は必見。タイミングによってはイベントなどで入れないこともあるので、事前にサイトでチェックしていくことをおすすめ。と書かれていました。
百年記念会館は、19世紀のナポレオン戦争における最大規模の戦闘「ライプツィヒの戦い」の戦勝から100年を記念してドイツ人建築家マックス・ベルクが設計、1911年に着工して1913年に完成しました。百年記念という名称はそこから来ています。
鉄筋コンクリート造
情報によれば、近代工学と建築学の草分け的な作品であり、前世紀初頭の鉄筋コンクリート建造物を知るための貴重な素材となっているということ。
建物内部で上を見上げればわかるように、装飾的な要素はなにもなく、打ちっぱなしコンクリートの無機質な壁に木製の型枠の跡をつけて仕上げられているということですので、110年以上も前の打ちっぱなし、この辺りも私の興味をくすぐるには十分過ぎる内容です。
どうしても建物に目がいってしまうのは、すでに職業病というかライフワークになっている感じもいたしますが、欧州の平和と安定を祈らずにはいられません。
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