この度、東北復興支援プロジェクトとして宮城県気仙沼にて「鉄筋コンクリート住宅」の住宅相談会を開催してまいりました。

実は弊社スタッフの実家も気仙沼にありましたが、震災で流されてしまい、その後も微力な支援しか出来ていませんでした。そこで今回は弊社と同じ工法を採用されている現地企業さんを通じてもっと広くお役に立てるようにと考えたのが、住宅相談会という形になりました。

私自身は今回が初めての気仙沼でしたが、相談会では現在仮設住宅にご入居されている方々や、商店主さん、役人さんなど多くの被災された方から直接お話を聞くことが出来、大変勉強になりました。

駅周辺や比較的内陸部では地震の被害を見ることは出来ませんでした。すでの復旧されているところもあるようですが、おおむね被害は少なかったように感じました。このことから今回の地震が特異な地震波だったということが想像出来ます。

お伺いした2日間は寒いながらも天候が良く、絶好の説明会日和となりました。夕方や説明会の合間を縫っては津波の被害に遭われた地域などを調査してまいりましたので、そちらもご報告させていただきます。

こちらは仮設住宅です。今ごろ断熱材を外から貼って補強をしているようでした。しかもあまり性能が高いとは言えない材料だったりして、どれほどの効果が期待できるのか、少々疑問を感じました。

しかもご覧の通り、わずかな間隔で並べられていますので、南側の窓を開けるとすぐに玄関が迫ってきていますので、とてもプライバシーを確保しているとは言い難いものになっています。今のところ2年とか3年という期限付きの仮設住宅ですが、とにかくこの仮設ではとても冬を越すことは難しいと思います。

海の方へ向かっていくと突然風景が一変しました。

すでに相当瓦礫などは片づけられたと思いますが、それでも思わず立ち尽くしてしまうような圧倒的光景です。

ここが住宅街であったことは、残された基礎から想像出来るものの、本当に街が一瞬にして消えてしまったということに、あらためて恐怖を覚えます。いまだに個人の資産となるような自動車はそこら中に積んでありました。

とても大きな船もまだそのままでした。

ここは駅があった場所ですが、すでに駅舎を含め何もない状況でしたが、かろうじて残ったこの駅名とベンチだけが余計に悲しくなります。

弊社スタッフの通った高校がここから見えるそうです。

こちらの建物は気仙沼の現地企業さんが施工された建物で、弊社と同じ構造、工法の鉄筋コンクリート住宅になります。この建物を目にしたときには本当にうれしくて、泣きそうになってしまいました。

なんでもこの建物の屋上を超える津波の高さだったということで、残念ながら周囲の建物はほとんど全てが流されてしまいました。近くに寄ってみると細かなキズがそこかしこに付いていて、きっと車や船、あらゆるモノがぶつかっていったことと思いますが、そんな中、よくぞがんばってくれました。

さすがにガラスが割れてしまったり、換気扇のカバーが飛ばされていたりしますが、驚くほど構造躯体はしっかりしています。

地震による構造クラック等はまったく見受けられませんでした。

この状態ならば、インフラの整備が整い次第内装工事を行えば十分再使用が可能と判断出来ます。

こちらは場所を移して南三陸町です。

やはりまだまだ復旧すら進んでいないのが現実です。向こうに見えるRC造マンションの上に多数の木々や漂流物が載ったままになっています。

海側に目を向けると、防波堤が破壊されていました。

津波の恐ろしさとその想像を超える力を思い知らされる光景です。

地盤沈下のせいもあると思いますが、もともと一帯が海抜の低いところであったことと、周囲を山に囲まれているという地形が津波を増幅させたようです。

かろうじて残っている鉄骨造はほとんど骨組みだけで、外装などは流されてしまっています。

そんな中、ここ南三陸町でも弊社と同じ工法によるRC住宅だけはしっかり残っていることを確認することが出来ました。

すぐそばを流れる川の水位の高さにびっくりしますが、ちょうど時間的に満潮の時間だったのかもしれません。

こちらの建物もやはり相当のキズが付けられていますが、構造的に影響のあるようなクラックなどは一切見当たりませんでした。

また、測量の結果も建物の移動は確認出来ないようでしたので、構造躯体の強さを再認識することが出来ました。

こちらは気仙沼に戻ってきて立ち寄った屋台村です。

地元で被災された商店さん達が、仮設の店舗で営業を始められたようです。

この日はイベントなどもあり、結構な人が集まって活気を感じることが出来ました。ちょっと遅いお昼をいただこうと、洋食屋さんに入り、そこではオーナーシェフから3.11の生々しいお話や、この土地に対する思い入れなどのお話をお聞かせいただきました。まだまだ行政の対応も追いついていない状況の中、必死に日々の暮らしを組み立てている被災者の方々には、むしろ私たちが元気をいただくこともあります。これから数年はかかるであろう復興に対して、少しでもお役に立てるよう、これからも微力ながらかかわらせていただきたいと思います。